これは、フラウビショフの2019年に夢がかなったお話です。
エルサレムに興味を持ったのは、2013年くらいだったと思います。エルサレムの食に興味をもったと言わないと誤りですね。
当時住んでいたチューリッヒのアパートメントの下にカフェがありました。厨房担当の女性オーナーが、ヨタム・オットレンギ氏の料理本『エルサレム』をカフェに置いていて、思わず手に取ったフラウビショフ。
目から口からよだれをださんばかりに、本が燃えだすかのごとくの熱い視線で、食い入るように見ている私に、「良かったら、うちに持っていってゆっくり見れば。」と貸してくれました。
生き生きした鮮やかな色の野菜、ふんだんなハーブ使い、塩味のヨーグルトやセサミソース、エキゾチックな素材のコンビーネーションと調理法。
エルサレムって、常に政治・宗教で揉めていて、なんだか物騒なところなのではと思っていたので、こんなにも美味しいものに溢れたところだなんてと衝撃でした。
イスラエル料理に恋に落ちたフラウビショフ。ヘアビショフにいつか行ってみたいなと言うと、「エルサレムへ行くなら、ディープに旅をしたい。危険な可能性があるところも見てみたいから。君とは行かない。」ときっぱりと言われて、あきらめの早いフラウビショフでした。
月日は流れ、その間オットレンギ氏のロンドンのお店に行ってきたという友人の話を羨ましく聞いたり、なぜかアムステルダムの宿でシャクシュカが朝食にメニューにあり喜びました。タイトル写真が、シャクシュカです。
近所のレバノンレストランのフムスやファラフェル、レバノンサンドイッチを食べ、自分を慰めることもありました。レバノン料理やトルコ料理をイスラエル料理と一緒くたにするのは乱暴すぎですが、似ています。
そのようにして、フラウビショフのエルサレムの道は糸のような細さで続いていたのでした。
思い出せば、東京にいるころから広尾のレストラン シカダでフムスを食べて美味しいと感激しレシピを聞いたり、ゴラン高原産のワインを飲んだりもしていました。
ここ過去数年テル‐アヴィヴへ旅行するスイス人が増えたように感じていました。毎週末フラウビショフが楽しみにしている新聞の料理のコラムがあります。そのコラムニストも、よくテル‐アヴィヴやエルサレムのレストランについて書いていました。
チューリッヒのヒップなレストランに、テル‐アヴィヴのレストランが招待されて、チューリッヒで本場のイスラエル料理が味わえるなんてイベントもありました。
Googleで調べものをすることからgoogelenという動詞をできたように、オットレンギ氏の料理本にでてくるようなレシピで調理することをottolengierenなどと表現しているのを目にしたこともあります。
そんな中、ドイツ人の友人が、9月後半に10日くらいテル‐アヴィヴへ行かないかと聞いてくれたのです。ヘアビショフはあっさりと承諾し、テル‐アヴィヴ旅行が実現しました。テル‐アヴィヴを主に観光し、エルサレムにも脚を伸ばすというスタンスでした。
世界で最も古い港の一つオールドヤッファの有名な蚤の市の近くに私たちの宿をとりました。テル‐アヴィヴまでバスを利用して15分くらいだったと記憶してます。
テル‐アヴィヴに着くと、約3時間半南に飛ぶとこんな暑いのかと驚きました。街角にあるジューススタンドの冷たい生ザクロジュースやミントをそえた生レモネードに救われます。また濃いめに入れたアイスコーヒーがとても美味しいと思いました。
テル‐アヴィヴでは、私たちのお気に入りの料理コラムニストのおすすめの店で、ローカルな料理を堪能しました。スズキだったと思うのですが、お刺身でオレンジのビネグレットソースで出てきて、生でも食べるんだと驚きました。カルパッチョ感覚なのですね。
私たちの気に入ったのは、グリルしたカリフラワーをタヒニソースでいただくものです。
フラウビショフは、都市の旅を長いことしておらず、もともと地図の読めない女です。旅慣れた友人が、サクサクと導いてくれなかったら、せっかくテル‐アヴィヴにいても、お店を探し出すことはできなかったでしょう。
フラウビショフはまさに金魚のフン状態でついて行くだけでした。そんな全然役に立たない私を嫌にならないで、まだ友達でいてくれてありがとうと思っています。
今回は、話があっち こっちして、読みにくかったかもしれませんね。お疲れ様でした。