スイスライフ

ギロチンとヒューマニズム

サリュー スイスリーベのフラウビショフです。今日は少し怖い話題、ヘアビショフから聞いたギロチン小話です。

あっ、でも そんない怖くないので、どうぞお付き合いくださいませ。

もう数年前のことなのですが、印象に残っていて、いつか書いてみたいと思っていました。

ある夏の日、ヘアビショフと湖の船着き場横のカフェでコーヒーを飲んでいました。ヘアビショフが、新聞かネットで読んで、面白いと思ったので話題にしたのでしょう。

ルツェルン州のギロチンの話がちょっと面白かったと教えてくれました。

ギロチンと聞くと、これまでの人生では、まず ああ恐ろしい、なんて残酷。大きな刃がキーンと落ちてきて、首がゴローンと転がるみたいな。昔はそんなものを使用して死刑を行っていたのね、野蛮だわ、なんて思っていました。

そして少女漫画の最高傑作の一つ『ベルサイユのばら』を読んで青春を過ごした世代としては、断頭台の露と消えた王妃マリー・アントワネットというくだりが思い浮かぶのでした。

ギロチンに対して、そんな薄っぺらい見方しかできなかったフラウビショフでした。

「ギロチンは、人道的配慮から導入された道具なんだよ。」

と聞いた時、人間愛とギロチン?処刑マシーンのどこにヒューマニズムがと、そんな風にギロチンの意味を考えたことはなかったと衝撃を受けました。

フラウビショフは、ギロチンというものをおどろおどろしい雰囲気の中世のほかの死刑に使用する器具類と一緒くたにとらえていたのです。

ギロチン使用の推進に立ち上がったのは、フランス人医師ギヨチン氏。死刑執行の方法に関して、受刑者の苦痛を最小に、そして執行人の肉体的・精神的な負担を減らすべきだと人道的見地にたった考えから、当時の政権に果敢に法整備を働きかけました。その尽力の末に階級を問わずギロチンの使用が採用されたのでした。

ウィキペディアによると、斬首する機械はーギロチンとまだ名付けられていないー13世紀ごろから使用されていたそうです。18世紀フランスでは、上流階級の死刑囚の処刑に使用され、市民の処刑には絞首刑、八つ裂き、引き回しなどの惨たらしい方法がとられていたとのことです。

執行人が剣で斬首を遂行するケースでは、一振りで済ませなかった場合など悲惨な状態に。想像を膨らませたくないので、詳しくは書きません。

死を持って罪を償う判決を下された受刑者。命を絶たせられる行為に極力苦痛を伴わなくさせるには秒殺が何よりの配慮。

ギヨチン氏の働きかけで、ギロチンが確実に機能するよう技術的改良も行われたそうです。

ここスイスもフランスに習って、人道的見地から死刑の執行にあたってギロチンの使用が導入されました。

あるギロチンは、今日ルツェルン市の歴史博物館で見学することができます。

当時はギロチンを所有する州から死刑判決が生じた州が借用していた歴史があったそうです。

そんな中、死刑制度を廃止したチューリッヒ州からシァフハウゼン州がギロチンを購入し所持していました。死刑の判決が発生したルツェルン州がシャフハウゼン州にギロチンの貸出を願い出ました。

するとシャフハウゼン州は、ルツェルン州に前回ギロチンを貸出した際、清掃されないまま返却されたとし、貸出を拒否したそうです。

おっと、それはちょっとまずいですね。

結局はルツェルン州がギロチンをシャフハウゼン州から購入し、ギロチンを所持することになったそうです。

普段から暗い歴史など避けたいフラウビショフなのですが、避けてばかりいないで目や耳を傾けると自分の世界が広がってゆきますね。

ギロチンと聞くとギョッとしてしまいますが、そんな処刑の機器の歴史の中に人間愛という発想があったこと知ると、そこにまるで一瞬きらりと光ったダイヤの輝きを見たような気になります。

歴史は、キレイごとだけで済まされるものではないので、感情に流されずに、恐れないで大人として自分を強く持ち、受け止めていくべきだなとあらためて思った機会でした。

今日もお付き合いして頂きまして、ありがとうございます。あなたの平安を祈りつつ。

ABOUT ME
frau Bischoff
スイス人と結婚してfrau Bischoffにはなったものの、ドイツ語習得の道は長そうだし、スイスのことも日本のことも何故こんなに知らないの?と思う日々。育犬も落ち着き、発信することで学んでいけたらというのは甘いかな?ヘアビショフと愛犬のマックスとTeam Bischoffです。

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