スイスライフ

とげぬき地蔵 – DORNAUSZIEHER

グリュエッツィ!スイスリーベのフラウビショフです。

今回は、最近読んだ本、詩人の伊藤比呂美著『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』のお話です。

ドイツ語の本を読むのは、いまだに知力・体力・時間を非常に消耗します。

フラウビショフが肩の力を抜いてドイツ語での読書を楽しむには語彙力や文法力がまだまだ不足。

興味のある分野の新聞や雑誌の記事は、ドイツ語で読むこともありますが、フラウビショフの楽しむ読書はもっぱら日本語です。

それでも、今生活しているスイスでどんな本が流行っているのかを、それとなく知っていたい。そんな理由でスイスの大書店オレル・フュスリ(Orell Füssli)のニュースレターの配信登録をしています。

そのニュースレターをなんとなく見ていたら、『DORNAUSZIEHER – Der fabelhafte Jizō von Sugamo』HIROMI ITŌが目に飛び込んできました。カバーがとっても素敵なデザインです。(写真は図書館で借りたもの。)

2021年8月にめでたくドイツ語版が出版されていたのでした。

タイトルに巣鴨のお地蔵さんがでてきて、巣鴨の近所に長く住んでいたことがあるフラウビショフはぐぐっと親近感が湧きました。

これは何かのご縁だ、ここは一丁読んでみましょうか。

しかし、オレル・フュスリでご購入とはならず、手にしたのは日本語で書かれたもの。やはり読むなら原文です。幸運にも母語だったというほうが正解ですが。汗

ちなみにDornはとげ、ausziehenは動詞で抜くの意味で、その動詞の語尾enをとり、erがついて人物の名詞になります。Auszieherinなら女性を表します。

主人公は、著者と同姓同名。自伝のように思えますが、フィクションとのことです。

日本の老いた親の一人娘としての介護の問題、カリフォルニアでの英国人の伴侶や娘達との夫婦として母としての振りかかる問題に、2国間を行ったり来たりしながらなんとか収めようと奮闘する主人公。

そんな彼女の日常に、日本と世界の文学・神話、家族の昔話などがここそこへ顔を出し、主人公の妄想も絡み、現実と虚構が交差します。

各章の最後に、例えば「宮沢賢治の声をおかりしました。」と直接なり間接なり作中にあらわれた出典が明かされます。

文節や文章の繰り返しや擬態・擬音語の多用をはじめとする詩人ならではの言葉遊びや歌うような語り口。さらに、例えばあえてひらがなだけで綴って効果を狙う表現などがあり、翻訳者の方はどう対応なさるのかしらと勝手にはらはら。

伊藤比呂美さんの作品を読むのは今回が初めてながら、お名前には既視感があります。どんな方が知りたくなってググると、詩人・エッセイスト・人生相談など多方面で活躍されています。

ググっていると、スイス公共放送のLiteraturclubという文学の討論番組があるのですが、その番組で今年1月末に『DORNAUSZIEHER』を取り上げた動画を発見。

そのすぐ下には昨年の2021年9月にケルンで主催された著者と翻訳者が壇上で本を紹介するイベントの映像のリンクもありました。

スイスの文学番組の女性の出演者たちは、作品に対してさらりと共感し、伊藤さんのユーモアやダイナミックな表現、詩人ならではの音楽的な語りかけを自然に受け止めて楽しんでいたようです。

流れる文章が巻物を紐解いて読んでいる気になるとか、誰の日常でも伊藤比呂美さんのような視点でみれば小説になりえる、また主人公の親の老いに際して、死とはなにかと果敢に問う主人公の姿勢が心に響いたと感想をのべていました。

一方男性のコメンテーターは、彼自身が日本文学の見識や文化の背景知識が十分にないために、作品の表面下に隠されて謎を解くようにある多数の引用を踏まえて理解したとは言えない。

また詩人ならではの日本語での言葉遊びも味わえていない気がする。それゆえ彼自身は著書に親近感を持つことができなかったそうです。

確かに各章の最後に記されたオリジナルの声、能・落語・古い日本の歌集や詩・随筆・小説・マンガ・歌謡曲などをすでに知っていると何倍も面白いことでしょう。カフカ、ホメーロス、エウリピデスなどの西洋勢も引用されてはいるのですが。

例え日本で生活する日本人であっても、これは『古事記』のあの物語だ、『梁塵秘抄』のあの歌を引いてるね、なんてさらっと分かる方は相当教養高き、文学者レべルの文学愛好者なのではないでしょうか。

フラウビショフも、誰の声がどこでしていたか良くわかっていません。

しかし日本の文化的背景は日本人として想像できます。仏教や儒教的な考え方は、自分が日本で育ち、その日常生活から意識的・無意識的に多少なりとも身体に沁みついています。

私は、巣鴨のお参りの場面をなつかしんだりできますが、男性出演者はそんな感慨は持つことは不可能です。

フラウビショフは、国際結婚して相手の国に住んでいるので、伊藤さんの帰省の大変さ、異なる文化を持つ伴侶との結婚生活、親の老いの問題など共通する体験があり、共感するところがたくさんありました。

ケルンのイベントは、伊藤比呂美さんと翻訳者が聴衆の方を前に作品を紹介するものでした。

この作品を書こうと思った理由を翻訳者が聞き、伊藤さんが説明します。ある引用がどう作品に現れているかのお話もありました。

翻訳者がドイツ語で朗読し、伊藤比呂美さんが日本語で朗読します。伊藤比呂美さんの朗読は、ご本人が自らおっしゃたように、説教節に影響されているとのことで、もうパフォーマンスです。

翻訳者の方からでた、グロテスクとも言える表現、例えばにきびの芯を絞り出すとか、醜いようなことを描くのはなぜかの質問に、

「好きなんです、そういうの。面白くないですか。」

と笑いながらいたずら好きの少女のように答える伊藤さんが印象的でした。

伊藤さんは、日常生活の様々な問題に奮闘していて、それをふと距離をおいてその様子を客観的に見たとき、その日常の葛藤が面白い、滑稽と思えてきて、日常がふと荒唐無稽な神話の世界と交差するような感覚になることがあるそうです。

さあ、小説であり、詩であり、ここかしこに日本と世界の文学の引用が飛び出したり隠れていたり、家族だ、老いだ、子育てだ、動物だ、植物だ、生だ、性だ、死だ、とたたみかけるこの作品、読みたくなりましたか。

今日もフラウビショフにお付き合いくださり、ありがとうございます。

ABOUT ME
frau Bischoff
スイス人と結婚してfrau Bischoffにはなったものの、ドイツ語習得の道は長そうだし、スイスのことも日本のことも何故こんなに知らないの?と思う日々。育犬も落ち着き、発信することで学んでいけたらというのは甘いかな?ヘアビショフと愛犬のマックスとTeam Bischoffです。

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