こんにちは フラウビショフです。学校では、どんな科目が好きでしたか?または得意でしたか?
フラウビショフは、世界史が好きでした。横文字の人の名前や事柄が面白かったのです。
当時のテストは、ということは四半世紀以上前の日本の教育ということですが、回答を選択肢から選ぶタイプが多く、自分の言葉で概要を説明しなければならないような問題はほとんどありませんでした。
フラウビショフの勉強の仕方は、テストの点数はある程度取れていました。それは太い字を覚えることができたからです。今、振り返るとオウムみたいに回答しただけで、本物の理解ではなかったな思います。
2019年の冬に、「マチネの終わりに」平野啓一郎著を友人から贈られました。天才ギタリストと東欧の映画監督の父と日本人の母を持つ女性ジャーナリストの大人の恋愛が描かれています。映画にもなりました。
二人とも感性豊かに知的な芸術論を語ります。女性は、フセイン政権崩壊後の混乱したバグダッドに赴任します。ギタリストのバッハのCDを聞くことは、悲惨な状況の中の救いだったとと語る場面があります。
「…わたしはそのただ中で、初めて本当にバッハを好きになれた気がしたの。やっぱり、三十年戦争のあとの音楽なんだなって、すごく感じた。」と言います。女性は、三十年戦争後のヨーロッパの荒廃した世界を生きた人々はバッハの音楽に深く慰められただろうと、絶望的な状況のバクダッドにいて、それを信じられた、それはギタリストの演奏するバッハだったと語ります。
それを聞いて、ギタリストは、彼女がそんな解釈をさらっと話すこと自体に、ヨーロッパの血を引いているといことはこのことか!と感心してしまいます。フラウビショフは、ギタリストと同じくらい女性のバッハのあらためて好きになった心の変遷を素敵と思いながらも、三十年戦争ってあったなあ、宗教戦争だったかなあ、と覚えていません。その時は小説が面白くて調べることもせずに先に進みました。
そして最近ザンクトガレンの大聖堂付きの世界遺産になっている図書館を訪れたときに、ガイドさんの説明に、この教区が三十年戦争もなんとかかわして生き延びた的なくだりが出てきました。
「また来た、三十年戦争!」もともとあるとも思っていませんでしたが、私のヨーロッパの歴史の知識、ひどい状態かもしれないと思い、インターネットでおさらいすることにしました。おさらいではなく、ほとんど無からといったほうが正しいです。
この戦争の影響は、ヨーロッパの歴史にとって甚大なものでした。カトリックとプロテスタントの紛争から、カトリックでありながらもフランスがプロテスタント側に着き、戦争が宗教から国の覇権で展開するものとなっていくのです。そしてスイスの歴史にとっても、とても重要な戦争だったのです。
三十年戦争終結の1648年ウェストファリア条約で、帝政ローマ帝国は有名無実化することになり、オランダとともにスイスの独立が国際的に認められたのでした。近代のヨーロッパが形作られ始め、さらに戦争が繰り返され、平和を保つ体制として、今ヨーロッパはEUというまとまりに至ったのでしょう。
学生の時は、歴史で起きたことを、点と点でしかとらえていませんでした。子供の時おとぎ話が大好きだったので、王がどうしただの、商業が発達しただの、逸話として楽しく聞いているだけで、まさに木をみて森を見ずで、歴史の有機的なつながりを理解するに至っていなかったのです。
小説の中の会話の一端から、そしてヨーロッパの小さな山国に生活していることから、点と点の知識が点と線になった気がしました。もちろん、まだこの三十年戦争だけにとどまりますが。さて、面や立体的な理解もいつかできるのでしょうか。
お付き合い頂きまして、ありがとうございます。