グーテンターク!
そんなタイトルを掲げながら、お箸の正しい持ち方ができていない日本人フラウビショフです。恥ずかしいけど、もう直せませんね。
さて、チューリッヒに住んで数年後、自分のある食の嗜好の変化に気付きました。
ステーキが好きじゃないみたいだ。葉物のサラダを食べるのに時間がかかってしまってイラっとする。
それまでは、ステーキを豪快さや豊かなイメージで食べていました。ところがある時、肉塊にナイフを入れて血が皿ににじみ出てくる様子を見て、これ好きではない、と感じ始めました。
例えば、中国料理のように料理にふさわしい大きさに切られた肉や魚が野菜とともにソースと調理されていると自然に頂けます。口に入れ易い大きさの肉と野菜を、箸で一緒にはさんで口に運ぶ、そういう肉の食べ方のほうが自分は好きだと再認識しました。
ステーキとしての肉の食べ方が好きではなくなったことに気付いたのです。
西欧料理は、ナイフとフォーク文化なので、主役として肉の塊や魚のフィレがドーンとお皿にのっています。
これは料理の冷めやすい石の家のヨーロッパの土地柄や(現代は気密性が高くそんなことはありませんが)、自分の好きな大きさに切って食べたいという個人主義から来ているのでしょうか。
逆に、箸文化の日本の食卓は、箸でとり易いように、箸で食べやすいようにと思いを馳せて調理されたように感じます。
食材は切り方によって、味も変わると言われます。お箸なら、煮物の一口大の人参も、細切りの人参のきんぴらも問題なく対応してしまいます。
一口に合うよう、小さくしなければならない場合も、箸でそうできる柔らかさや状態に調理されています。
元を辿ればヨーロッパであろうトンカツも、すっかり箸文化に取り込まれ、サクッとした衣をまとったジューシーなお肉にスパっと包丁が入って、最適な大きさに切られてテーブルに運ばれてきますよね。
フラウビショフは、サイコロ状にカットされたステーキを箸でつまむのであれば、まだ心惹かれるところがあるかなと思えます。
それに対して、西洋人は、せっかく熱々の肉が切り刻まれていたら、冷めてしまうじゃないか!と思う人もいるようです。
葉物サラダは、一切れが大きいとき、どうカットしていこうか、どうまとめて口に入れようかと取り組んでいる最中に、まわりの皆が食べ終わっているのが困ります。
メインの前にサラダを食べることが多いので、フラウビショフがほかの人を待たせ、食事の進行を妨げていると焦ったものです。
とは言っても、皆が待っているという感覚はなく、こちらの方々はお話好きなのでそんな時間も楽しくおじゃべりしているので問題なしなのですが。
スイスでも、自宅でサラダを食べる時に、箸を使えばサクサク食べることができることに気付きました。
ここで義理の両親とお箸の逸話をご紹介しましょう。二人が中国を旅行した時の話です。それが、唯一のアジアの旅で、二人には一つの異国体験だったのでしょう。
北京のレストランで現地の中国人が食事をしていたそうです。パパビショフの目には、箸で食物を挟んで、それを持ち上げて口に運ぶという一連の動作がとても優雅な所作に映りました。箸という道具を器用に美しく使いこなし食事をとる様子にしばし見とれてしまったそうです。
皿の上の食べ物をナイフで切りつけ、フォークに突き刺して食べている西欧とは大違いだね、とパパビショフは笑って言いました。
その時は、こう答えられなかったけれど、西欧のレストランで聞こえる、談笑に混じって皿と金属とグラスが時折りたてる食事の音は、活き活きした人の生活を感じさせ、なにか心躍らされる響きがあり、フラウビショフは好きです。
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