グリュエッツィ!スイスリーベのフラウビショフです。
キンドルを購入して依頼、読書にはまり、ドイツ語の勉強はすっかりご無沙汰していました。
数か月たった今、少し読書に飽きてきて、ドイツ語学習再開です。
再開の幕開けを飾る文法練習 第8章は、話法の助動詞です。ドイツ語だと、Modalverbenと言ってmüssen, wollen, sollen, mögen, können, dürfenの6つの動詞です。
英語では、must, will, should, can, may などが話法の助動詞です。なんとなくドイツ語に似てます。
再開してすぐ、難しいすぎる!とすでに膠着状態です。この話法の助動詞は、英語の時から思っていましたが、文のニュアンスに影響を与えることができる分、つかみどころがなく(話者の気分)、解釈に幅(いわゆる空気を読む)がでて複雑になる気がするのです。
ドイツ語の話法の助動詞たちは、ひとつの語がいくつかのニュアンスをもっており、二つあるいは三つの語が同じか、あるいは、かなり似通うニュアンスで使えたりします。
それがフラウビショフの頭を混乱させます。
しかし、言葉、言語というものは、そういう一筋縄ではいかないものなのです。
フラウビショフは、単細胞。あんまりバリエーションがあると困ってしまいます。一本線を引いて、白黒したくなってしまいます。
ただ、それは言語の多様性とは相反します。線は直線ではなくカーブを描き、グレーなゾーンもあるでしょう。
そして、かりにsollを使った文の次の文中に、またsollを使用することを回避するために、mussやdarf使って表したい内容が表現できる利点があるのです。
「話法って何のことかな」と思いました。
語っているんです。例えば、こうしないと危ないよ!こうしたいんだ!こうしたほうがいいよ。そうすべきだよ。それは許されないよ。気が入ってます。
助動詞を用いることは、その発言に、時と場合によっての大小様々なパッションを注入するものなのではないか。助動詞がその文の内容を、平たい表現から魂のはいったそれにしてくれるのではないかと思います。語る技術。
さあ、膠着状態からどう抜け出せば良いのでしょうか。練習問題を解いて酷い結果でも、心をまるで穏やかな海原ように保ちつつ、正答の根拠を確認・理解して前進し、8章を終わらせ、9章の後にでもカンバックしようかなと思います。
宣言したから、やるしかない。
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