グリュエッツィ スイスリーベのフラウビショフです。
今日は、フラウビショフが旅先で出会った日本好きスイス人について書いてみたいと思います。
先日、スイスの中でも世界中から観光客が訪れる人気の観光地グリンデルワルトで数日を過ごしてきました。
グリンデルワルトから登山電車やケーブルカーを利用して展望台まで行き、簡単にアルプスの大パノラマを堪能することができます。
お天気も良く、標高2230mのメンリッヒェンのケーブルカーを降りた直後、山々を目の前にできる屋外の席でコーヒーブレークをしました。
私たちより少し年配の60代か70代くらいのご夫婦も朝食を取っていました。落ち着いた佇まいでありながらアクティブな感じで、パーソンズテリアを連れていました。
ヘアビショフはどこをハイキングしてきたかそのご夫婦に尋ねました。どのハイキングコースがきれいだった、どこがハードだったかと情報交換です。
山の話が一通り済むと、ご主人が日本が大好きだという話になりました。
自分で尺八を見よう見まねで作ったことがあるそうです。音が出なかったので、日本から尺八を買い求め、構造を調べたそうです。
スイス人って、できるものなら自分の手で作ってみたがる傾向がある気がします。
さらにお二人ともベジタリアンで、豆腐は手作りするというのです。フラウビショフは、驚いて、「にがりを使ってですか?」と確認してしまいました。ご主人は「テンペも食べますよ。」と付け加えました。
味噌は手作りしたことがあるけど、味噌汁以外に何に使ったらよいかよく分からないとおっしゃっていました。
奥様が、「一時は日本に移住したいと言っていたこともあったのよ。」と笑っています。旦那様は、ある時、現在の日本が自分が憧れていたものとは違うと気が付いてあきらめたそうです。東京はニューヨークと変わらないと。
想像ですが、生け花が置かれた床の間に日本画が掛けてあり、外には鯉の泳ぐ池のある日本庭園がひろがり、書道や茶道を嗜み、尺八を奏で、禅を学び、座禅を組むなんていう世界を思い描いていたのかもしれません。
フラウビショフは、憧れの日本は京都辺りに残っているのではと言ってみました。すると、なぜ、日本は昔のような生活様式がなくなってしまったのと聞かれました。
あっ、また日本代表になってしまった!と焦るフラウビショフ。
いつものごとく、私の脳みそはゆっくりとしか回転せず、答えに窮してしまいました。
人気のスタイルではなくなってしまった、あるいは経済的に難しいという理由か、と奥様が助け舟を出してくれました。
その場でなんとか思いついた返答は、「昔の生活スタイルは、実用的ではなく、今の時代に合わない。」でした。
私の苦しそうな様子を一同は察し、話題が膨らむ兆しもみえないので、話はその場では消えていきました。
死刑制度、捕鯨、仏教、禅、過労死。そんな重大なテーマに、家族や友人たちと過ごしている時などに日本人としての意見を自然な流れで求められることがあります。
その度に自分のしどろもどろな回答に一時的な敗北感を持ち、喉元過ぎれば熱さを忘れるで放置してきました。
同じ質問がまた目の前に来て、自分って本当に日本人かの情けさを味わうを繰り返しています。
今回は、珍しく家に戻って宿題のごとく、この問いの答えを考えてみました。
上に描いたような日本家屋で、趣味人として生活できた人は、昔も一部の少数派だったはずです。
一般市民は、都市では長屋暮し、田舎では土間があって、囲炉裏の炭で煤けた小さな家で暮らしていたことでしょう。
全く、テレビの時代劇と日本昔話の世界からの受け売りですね。笑
文明開化以降、皆、華やかな西洋への豊かさに憧れました。西へ習えと。
よくよく考えてみれば、ヨーロッパも、例えば、ビクトリア朝やフランス王朝のスタイルは過去のもの。
違いといえば、ヨーロッパやアメリカは自分たちのスタイルを現代化していったけれども、日本は、特に表面上は、西洋のスタイルを自分のたちの生活に貪欲に取り入れたのかな、なんて思いました。
この全くゆるい答えは何なのでしょうか。笑
ある友人のスイス人は、家を改装した際に、パーティションとして障子を設えたそうです。
障子を知らないスイス人の内装屋さんに写真を見せて説明し木を組み立ててもらい、紙を扱っている友人から和紙を取り寄せ、自分で張ったそうです。
この障子にとても満足していると、とても嬉しそうに語った彼女。この情熱、感嘆します。
日本でも北欧調の家具に憧れたりするように、スイスでもブッダの置物や盆栽を飾ったりと異国への思いってどちらにも存在するなあ。地球は丸い。
日本好きスイス人に会うと、やはりとても嬉しい。そんな方たちの問いに答えられるように、日本のことをよく知り、自分なりの意見を持ちたいフラウビショフでした。
今回もフラウビショフのブログを読んで頂きまして、感謝の気持ちでいっぱいです。